2011年 03月 15日
ご心配ありがとうございます
代わって旦那の私がご心配していただいた皆々様、並びにわざわざメールを下さった方々にあつく御礼申し上げます。
2日間の避難所生活はありましたが少しづついつもの生活に戻ってきて、毎日余震や津波警報に怯えながらもなんとか自宅にて親子3人プラス2ワンで生活しております。
息子も盛岡で大学生をやっておりますが住まいの目の前が通ってる大学ですので避難は容易だと思うのであまり心配してません(笑)
地震自体は震度5強でしたので怖かったことは怖かったんですが、それ以上に津波がね・・・
女房のすぐ下の妹が岩手県の北部、洋野町というところにいるんですが家を津波に持っていかれてしまいました。ご主人の勤務先の水産会社も一緒に流されてしまったようです。
聞くところによると、当初報道は八戸の津波をメインに報道していたようですがそれはきっともっともっと被害が尋常ではないところには取材陣も入っていけなかったためじゃないかと思います。
実際、だんだん被害があきらかになるにつれて仙台、福島方面、三陸一帯は目を覆いたくなるようなひどい惨状のようです。
しかしながら八戸も大きな被害を被りましたことはまぎれもない事実です。
車が通れるようになったところで車中から写した写真が何枚かあるのでアップします。
沈んでブリッジしか見えてないやつとか陸にあがってしまったやつ。
でも、これらは超小型船です。
よくわからないと思いますがありえない駐車の仕方です。
津波で流されて重なったり隙間にはまりこんだりしてます。
水が引いた後は汚泥やごみ、木のくずなどがすごい状態です。
国内屈指の水産基地である八戸もこのようにほとんどの冷蔵施設がやられてしまったから復旧にはかなりの月日がかかるものと思います。
これが報道で流れてた漁船です。
引き潮で少し戻されてここにとどまりました。
このほかにも、これと同じような中型船が6艘ばかり陸にあがってました。
ちょうどこの写真の反対車線を11日の午後4時過ぎに親子3人プラス2ワンで娘の運転で走っていると、津波の第1派?本格的なやつではないと思いますが15~20センチくらいの高さの波が前方より押し寄せてきて見る見るうちに軽自動車の床のマットまで浸水してきました。
固まる娘をあわててどかして運転を代わり、危うくバックで難を逃れました。
たぶん、あと10~15秒も遅れてたら車も動かなくなりそのまま津波に飲み込まれてたかもしれません。
後から考えて3人で震えていました。
大の大人の男ですが、今考えても本当に、本当に怖いです。
あの、迫ってくる水の恐怖・・・トラウマになりそうです。
いろんなラッキーが重なって難を逃れることが出来ました。
今回、42時間ばかり停電でしたが現代社会はあらゆることを電気に頼っていることを痛感しました。
真っ暗ってだけでものすごく不安になりますよ。
家に戻って電気が復旧したときは思わずバンザイをしてしまいました。
また、避難所では自衛隊の方々が全員イケメンに見えたね。
缶詰のご飯も美味しかったよ。
本当にありがとうございました。
その他、避難所である子供たちの母校の中学校の教職員の方々だと思うけども、本当に不眠不休でがんばってくれていました。
頭が下がります。
それから携帯電話。
電話は当然どれもこれも通話が出来なくなりましたがメールはドコモ同士は大丈夫でした。
俺に言わせりゃAUもソフトバンクも役立たずです。
女房と娘の携帯がAUなんですが全然メールも送れないし受信も出来ない。
当然通話もできないし。
13日の明け方じゃなかったかな?一気にガバガバとメールが届いたのは。
でも、ワンセグテレビは重宝しましたよ。
停電でせいぜいラジオしか情報源がないときに画像を見れるのはありがたかったです。
この先も何があるかわかりません。
皆様も災害に対する備えは万全ではなくとも少しはしておいたほうがいいと思います。
自動車を持ってる方はシガーライターから携帯電話に充電できるやつがあればとても便利です。
うちは、避難してる二日間、学校の校庭で車の中ですごしましたが充電器を娘の携帯につなぎワンセグを観ながら情報収集していました。
エンジンをかけてヒーターをかけっぱなしにしていたものでガソリンがすっからかん。
スタンドに行っても入れることも出来ずしょうがなく社長の車を借りて通勤に使ってます(笑)
早く、本当の平常の生活に戻らないかなぁ~
それにしても、誰かガソリンわけて~~~出来ればハイオクお願いします。
なお、でぶりん・もんろーはブログ復帰までもうしばらく時間がかかるかと思いますがどうかご容赦ください。
すいません_(._.)_お約束ってことで・・
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by parumama
| 2011-03-15 14:22